代表紹介

代表 竹山 昭(たけやま あきら)

竹山美装を知っていただくために、まずは私自身を知っていただきましょう!

1. 幼少期 小さな頃から丈夫さが自慢!

1984年千葉県鎌ヶ谷市くぬぎ山に誕生しました!!

お母さんにべったりな甘えん坊だったらしいです(笑)
5歳の頃、兄と買い物に行った帰り道、道路を渡るのに兄の手を握り信号待ちしていると反対の歩道に友達が歩いていました。話しかけようと兄の手を離し「おーい」と叫んでいる僕、「いくなー」と叫ぶ兄、横からはやっぱり車が来ていたみたいで『バーン』撥ねられました…兄はその時「絶対死んだ…」と思ったみたいです。
幸いにも怪我は軽い打撲だけでした(笑)運転手の方申し訳ありませんでした。
それから2年後同じ状況でまた車に撥ねられました…(笑)また大した怪我は無かったのですが、前は経験していない幽体離脱みたいな経験をしました!誰も信じてくれませんが…
そんな貴重な経験をしたくぬぎ山とは7才の頃に父の仕事の都合でお別れし、千葉県の長生村へ引っ越します。
そこではもう事故に遭うことはなかったのですが、小さい怪我をちょろちょろしながら、元気に成長しました!

2. ボクサー時代 ボクシングに打ち込んだ毎日と新たな夢

そんな私が小学5年生の時にテレビでたまたま辰吉丈一郎さんのボクシングの試合を見てその強さと格好良さに衝撃を受け、その瞬間にプロボクサーになることを心に決めました!しかし家の近くにボクシングジムなどはありません。
中学生になってもボクシングへの思いは変わらないまま。もちろん中学校にボクシング部などは無く、下半身強化のためと身長も大きかったのでバスケット部に入部しました。中学2年生になりレギュラーにもなったある日、後輩と話しているとその後輩の叔父さんがボクシングジムの会長をやっていることが判明!ついにボクシングが出来る日が来たのです。
翌日、顧問と仲間たちに謝って、バスケットボール部を退部しました。
そして卒業まで学校が終わってから50分電車に揺られ、週6回ジムに通いました。

よりボクシングに専念するために高校には進学せず実家を離れジムの近くで一人暮らしをすることに。
お金も無いと生活できないのでジムの会長の紹介で塗装会社に入りました。
この時はまだそんなに仕事に集中していなく、常にボクシングの事を考えていました(笑)
17歳から受講できるプロボクシングの資格を、17歳になってすぐに取得して、昔の夢だったプロボクサーになりました!「昔の」というのはその頃には夢はプロボクサーではなく世界チャンピオンになっていたからです。
目標はB級ボクサーだったのでプロになったからといって喜んではいられなかったです。
常に私には夢があり、そのための目標も設定しています。
※ちなみにプロボクサーは例外を除き最初はC級ボクサーとなります。試合で4勝するとB級、そこからさらに2勝してA級になれます。

デビュー戦から順調に3勝して、あと1勝で目標達成のはずが勝てると思った試合で負けてしまい、今までのボクシングに対する集中の糸が切れて、熱意も冷め、ジムに練習をしに行かなくなり、仕事が終わったらフラフラ遊びに行っていました。
そんな生活をしばらく続けていたら、ボクシングの試合をやっている夢を見るようになり、再びボクシングの事を考えはじめました。ボクシングを離れて半年、熱意も戻りようやく復活!
またガンガン練習、試合を行い、目標だったB級、さらにA級も獲得し、日本ウェルター級6位までなりました!

気づけば22歳。その頃にはボクシングへの熱意は冷めていました。最後と決めた試合で、アゴの骨を2カ所折られて気持ち良く敗北。ボクシング人生にピリオドを打ちました。
9勝3敗7KO(7KOはすべて1ラウンド!自慢です!)

次はその時芽生えて始めていた「自分の会社を作る!」という夢をつかむ戦いに挑みます!

3. 仕事編 職人としての風格 竹山美装設立!

やっと仕事編になります(笑)
16歳から塗装の仕事をしていましたが、21歳まではボクシングに集中しすぎていて仕事にはあまり集中できていませんでした。ボクシングへの熱意が冷めてきて、色々考えながら仕事をしている事が多くなったある日、親方から「来週から始まる〇〇様邸、お前が段取りから全部やってみろ!」と言われました。5年もこの仕事をやってきていたのでまあ出来るだろうとその仕事を引き受けて〇〇様邸の工事を始めました。

初日の朝の挨拶をしたお客様に不安そうな表情で「ずいぶん若いねぇ」と言われました…今考えると21歳の若造が自分の大事な家を塗りにきたら私だって不安です。当時の私は自信満々に「任せてください!」と言っていました。
いざ作業を始めると5年も経験しているのに「ここはどうやってやるんだろう?」というところがちょこちょこ出てきます…親方に電話で聞くと「そんな事も分んねえのか!」と怒られながら教えてもらっていました。結局5年の経験といっても指示された事しかやっていなく、自分で考えて行動していなかったため、全然仕事ができない自分に初めて気づきました。
〇〇様邸は結局親方に手伝ってもらい無事完了しました。
悔しくて、出来ると思っていた自分が恥ずかしくて、もっと仕事ができるようになりたい!と思い、仕事に集中するようになりボクシングも辞めました。

半年後、親方に「来週から始まる△△様邸はお前に任せるぞ」と声が掛かりました。
不安はありましたが半年前の自分とは違うところを親方に見せたかったのと、何より自分で確認したかったので「ありがとうございます!」とその仕事を引き受けて、△△様邸の工事は始まりました。
前回は不安がられた初日の朝の挨拶、今回は不安がられませんでした。あれから半年しか経っていなくて見た目は変わらないはずなのに。きっと仕事に対する自信と想いが職人としての風格を出してくれたのだと思います。

作業を始めても手際よく進み1日1日があっという間に過ぎて行き無事に工事も完了してお客様に最後の挨拶をさせていただいた時に、お客様がとても嬉しそうな表情で「毎日毎日一生懸命やってくれて綺麗になったよ。本当にありがとう!」と言われてこちらまで嬉しくなって、もっと色んなお客様の嬉しそうな表情、お言葉をいただきたくなりました。

ボクシングでチャンピオンを目指していたのですが、いつの間にかこの仕事でチャンピオンを目指したくなり、まず自分の会社を作る!という目標を持ち、頑張って頑張って腕を磨き、もちろんお金も必要で貯金も無いので夜は床掃除のバイトをして、眠くて辛い中ボクシングで培った根性で頑張って頑張ってお金を貯めて、約5年後「竹山美装」設立です!

4. 私の考え

まず私はこの仕事が大好きです!
楽しいしお客様の笑顔が私に元気をくれるからです。
なので一生この仕事を続けて行きたいです!
一生続ける…難しい事なんです…
ある調べによると、事業を起こして10年後に生存している会社は全体の5%で、100年後には0.03%…なかなか厳しい戦いです。今の竹山美装は法人ではなく個人事業の小さい会社なので若干話は異なると思いますが、近い将来は法人にしますので同じ事です。
どうすれば0.03%の中に入れるか?と考えました。
今の私の答えは一つしかありません。それは信頼です。もっと奥は深いと思いますが、今の私はそう思います。
単純に信頼できない会社に仕事は頼みませんよね?
大手ハウスメーカーさん、株式会社〇〇塗装、竹山美装、自分の家の工事をする時どこに頼みますか?

仮に100人に聞いてみたとしましょう。竹山美装と答えていただける人はまずいないと思います。当たり前です!聞いた事も無い、株式会社でもない、個人の会社に誰も頼みませんよ!分かってます!しかしその100人の中に1人でも竹山美装を選んでいただけるお客様がいれば着実に信頼関係を築き、1人また1人と信頼の輪を徐々に広げていき、10年後100人に同じ質問をしたら、信頼の輪も少し大きくなり、竹山美装は株式会社になっている(予定)事もあり、10人は確実に選んでいただけるよう、20年後には確実に20人と、ゆっくりと確実に絶対焦らず信頼の輪を広げていきたいと思います!
もちろん100年後の竹山美装は確実に100人のお客様に選んでいただけるように輪を広げていきます。

まだまだ勉強不足で未熟者ですが、よろしくお願い致します。
くお願い致します。

5. 好きな言葉

考えすぎると可能な事まで不可能にしてしまう。

夢を持ち、夢を想い追いかければ、夢は目標へと近づく日が来る。
そしてまた新たな夢が出来ている。そうやって走りつづるこの人生最高!

人は失敗を経験して人生の幹を太くするのだろう。

一度の人生だから、後悔なんてしたくない。

思えば近づく、動けば届く!

以上、代表竹山昭の言葉でした。